観世 清和

​か ん ぜ  きよかず

観世流

古よりシルクロードを渡り、日本には様々な芸能が伝来しました。それらの芸能は、時代と共に人々と生き、栄え、日本のあらゆる文化に息づいています。今回は、室町時代に能を大成した観阿弥(1333-1384)・世阿弥(1363-1440頃)父子の流れをくむ能楽「観世流(※1)」の二十六世観世宗家・観世清和さん(1959-)に、能の魅力と継承について語っていただきました。インタビュアーは、歴史的に観世家と関わりが深い、近衞家の末裔・近衞忠大が務めました。

 

※1 参照:観世大夫家略系譜 (kanze.net)

「無形にふれる」を振り返って

近衞:ポーラ伝統文化振興財団さんの40周年記念展「無形にふれる」から早いもので1年が経ちました。伝統文化に触れる機会が少なかった方々、特に若い世代に向けた展覧会で、展示デザインもユニークだったと思います。ご宗家はどのようなお考えで、あの展覧会に臨まれたのでしょうか?

ポーラ伝統文化振興財団40周年記念展​「無形にふれる」の展示風景

観世:若い人たちが能に触れる機会をもっと多くご提供しなければ、世界無形文化遺産ではなく、ただの遺産になりかねないという危機感を持っております。ある時ワークショップで息子・三郎太(1999-)が、パッと面(おもて)を取ったら、お客様が「若い人がやっていたのね!」とおっしゃいました。その方に限らず、一般的に能には若い世代のイメージが無いのだと思います。
そこで、「無形にふれる」では息子も写真に登場してもらいました。その写真もただ壁に飾るのでは無く、等身大パネルを円形に設置し臨場感を出すなど工夫していただき、能装束も含め、とてもインパクトの強い立体的な展示にできたと思います。お客様には、能に新しいイメージを感じていただけたのではないでしょうか。

近衞:そうですね。同世代が展示に登場しているだけで、若い方は共感できますし、他人ごとでは無く「自分ごと化」が出来ますね。能の「型」を等身大の写真に図入りで表現されていて、私も思わず真似をしてしまいました(笑)。

能の魅力と楽しみ方

近衞:ご宗家は展覧会解説の中で、「能は難解と思われがちだが、簡略された型は美しく描かれた『抽象画』と考えればよい」というお話をされていました。実際に、能は見る人によって感じ方も千差万別だと思います。絵画鑑賞のように、解釈の余地や想像の余白が、観客に委ねられていると考えてよいのでしょうか?
観世:まさにそうです。それも能の魅力の一つだと思います。自由な心情、感情で見て、余白を感じていただければと思います。

近衞:自由に見るというのはとても重要ですね。ただ、実際には多くの方が、古典がわからないとか、詠っている内容がわからないとか、考えすぎてしまっているようにも感じます。
観世:ご自分にとって楽な姿勢でご来場いただきたいのですが、能楽堂の中に入ると、とにかく緊張されるようです。そこをなんとかしてさしあげたいと、公演の前に、簡単な能楽講座を行うこともございます。わからないことがあれば何でも質問して欲しいのですが、質問するのはよくないという先入観をお持ちのお客様も多いようです。
近衞:私は幼少期スイスで過ごしたのですが、学校の授業で美術館に行くと、先生は最初にルールを説明したら、子供達を自由にさせます。スケッチするのもよし、ウロウロするもよし。そして最後に、どの絵が好きだったか、どうして好きなのか、絵のどこに何を感じたのかなどと尋ねて、生徒に表現させる。もちろん先生に何を質問してもよかった。今思うと、芸術を楽しむ方法を伝える事に、時間を割いていたのですね。
観世:フランスで何度か演能させていただきましたが、初日公演の後、レセプションがあり、ご覧になられた方々がシャンパンを片手に感想をいいあうのです。その様な緩やかな雰囲気は非常に大事だと思います。日本の若い方にも、日々のライフスタイルの中で、能を楽しんでいただきたいですし、そのきっかけをもっと作ってゆきたいと考えています。
近衞:ライフスタイルと言えば、私が知っている能楽師の先生は皆たいへんお元気です。能は健康にも良いと感じますがいかがでしょうか。

観世:お医者様から伺いましたが、謡の声を浴びているとバイオリズムが一定になり、座禅を組んでいる時のようにアルファー波がたくさん出る。非常に気持ちが安らぎ、和らいでくるのだそうです。リラックスできるというのも、能の魅力です。

父と子の継承について

近衞:先ほど息子さんの話も出ましたが、三郎太さんは師匠からご覧になっていかがですか。
観世:舞台と稽古の時はよい緊張感を持って取り組んでおりますが、ただ、こういう芸事をやっている以上は、日常生活でも素になるなと申しています。どこか緊張感みたいな物を私生活でも持っていなくてはならない。しかし、ひとたび舞台や稽古を離れますと、今時の大学生ですよ(笑)。
近衞:いやいや(笑)。三郎太さんの記事を読ませていただきましたが、能に対しては、日頃からとても熱心だとお見受けしましたよ。
観世:ありがとうございます。最近は、新型コロナウイルスの影響で結果的に稽古の時間が増えました。息子と向き合って稽古するとこちらも燃えてきます。「俺の背中を見ろ」じゃないですが、模範となる謡い方や舞い方を、自分自身が体現して繋いでいく。

その上で、私が父から教わった「芸道はこうあるべきだ」といった精神論もしっかりと伝えてゆかなければと思っています。
近衞:それはどのような精神論でしょうか?
観世:先祖の世阿弥が申しました「初心忘るべからず
(※2)」という言葉の通り、己がいかに未熟であるかを理解することが大切です。「慢心の心が本当に怖い、いつ谷底へ落とされるかも分からない、だから常に覚悟を持って臨まないとだめだ」と、息子には日々稽古の中で伝えています。
近衞:能は武士の世界で育まれてきた芸道ですから、昔は生きるか死ぬかという緊張感が常にあったのでしょうね。しかし、世阿弥が生きていた室町時代と現在とでは、だいぶ環境が異なると思います。三郎太さんをはじめとする若い能楽師は、現代において何を意識すればいいのでしょうか。
観世:ともかく「繋いでいく」ことが大事です。私の代だけでなくて、三郎太もいずれ家庭を持って、そのまた次の代へ繋いでゆかなければなりません。繋ぐとは一筋縄ではいきません。近衞様がお務めの宮中歌会始
(※3)の講師(こうじ)役も同じではないかと思いますが、古典の世界はひたすら反復です。反復は、教える側も教わる側も「忍」の一字。昨日はできたけれども、今日やったら違うでは駄目なのです。基本というものは絶対ブレない。能の演目には「高砂(たかさご)」もあれば、「羽衣(はごろも)」もある。百歳の老婆演ずる「卒都婆小町(そとわこまち)」もある。けれども、基本は全て同じです。「いついかなる時でも、基本を一回でも崩したら修復はできない」ということを、息子には肝に銘じて欲しいのです。

※2 「初心忘るべからず」:40代から約20年にわたる世阿弥の口伝集大成「花鏡(かきょう)」において奥段に書かれた言葉。

※3 宮中歌会始:正月皇室行事の一つ。平安時代に和歌を読み、それを声に出して発表し、競わせて楽しんだ歌会が起源となっている。明治以降は国民から寄せられた和歌の中から十首を選び、それを皇居にて陛下をはじめ皇族方の前で読み上げる。近衞は最初に和歌を読み上げる「講師(こうじ)」役を近年務めている。

能のリズム

近衞:先ほど歌会始の話が出ましたが、能の謡(※4)においても、歌詞にあたる部分は七五調(五七調)で、和歌が基本にあると聞いたことがありますが、いかがでしょう。
観世:
その通りです。謡は七五調が基本で、和歌と同じく、字余り字足らずが生じることがあるので、その節によって、伸ばしたり、縮めたりします。ご自身でも能を舞われる歌人の馬場あき子先生に、流儀の若手育成のための研修会の講義をお願いした際、こうおっしゃいました。「世阿弥をご覧なさい。十六歳で尊勝院へ参り、何をしたのか。まず和歌のお稽古をして、連歌を勉強した。それから能の世界にどっぷり入ったのよ。」つまり、和歌は能の源流と申しても過言ではないのです。

近衞:君が代の歌詞が和歌だと言う事を知らない方も意外と多いですね。五七五七七を西洋音楽に乗せています。ただ、今の若い方には、能と和歌の関係よりも、能と現代音楽との関係に例えると理解しやすいのかもしれない。
観世:そうですね。現代音楽に例えると、能のリズムはエイトビート
(※5)です。そこに七五の歌詞を乗せるから、調整が必要で、稽古を重ねる必要がございます。昔、父から言われたのを思い出しました。「謡の引きはどこまでのばした?」「三拍までのばしました。」「ちがう。三拍半まで!」と。
近衞:半拍のずれはレゲエ
(※6)に通じるかもしれません。きっかけは現代音楽でも良いので、若い方には、能にもっとふれていただきたいですね。

※4 謡(うたい):能の舞に添えられる声楽(台詞や歌)。

※5 音楽の譜面において1つの小節に8つの拍をもつリズム。8ビートは、ロックに多い。 

 

※6 レゲエは1960年代からジャマイカで発展した音楽ジャンル。

観世家と近衞家の繋がり

近衞家ゆかりの扇についてご説明されるご宗家

観世:実は、本日近衞様へお目にかかるのをとても楽しみにしていました。なぜなら桃山時代から近衞家には大変お世話になっているのです。これは流儀の扇ですが、扇面に描かれた「槍雲(やりぐも)」という文様は近衞家からいただいたものなのです。槍の切先の様な形の雲を図案化したものと、京都・観世屋敷の井戸(現存)の波紋を図案化した「観世水」と「観世千鳥」という組み合わせ。金箔の扇面で、どの様な演目にも使える重宝な扇です。ここぞ、という舞台でしか用いません。年に5、6回使うくらいでしょうか。
近衞:恥ずかしながら知りませんでした。大切にしていただきありがとうございます。 
観世:こちらは、「鉢木(はちのき)」という演目でのみ使用する扇で正式名称を「近衞引き」といいます。先祖が「鉢木」を演ずる際にいい扇子がありませんでした。ならばと、ご先祖様がお贈りくださったそうです。それ以来、本来家元に限りこの頂戴した扇で舞っております。骨の部分に3つの彫りがあり、これは「鎌足彫り(かまたりぼり)」と申します。
近衞:鎌足
(※7)も私の先祖ですね(笑)。
観世:はい、ご先祖様です。まずはご先祖様から続く流儀へのご厚情に御礼を申し上げねばならないと思っておりました。
近衞:畏れ入ります。こちらこそ、本日は貴重なお話をありがとうございました。


※7 鎌足:藤原鎌足(614~669)は飛鳥時代の政治家で、近衞家のルーツである藤原氏の祖。

近衞引き扇の鎌足彫り(かまたりぼり)

インタビューを終えて

POLA Museum Annexで開催された、ポーラ伝統文化振興財団40周年記念展「無形にふれる」(2020年1月18日 〜 2月16日)では、二十六世観世宗家・観世清和さんと御子息三郎太さんとの共演も交えて、観世流の世界がわかりやすく表現されていました。今回のインタビューを通じて、「初心忘るべからず」は、650年以上にわたる歴代御宗家の思いや覚悟の積み重ねだということ、そして、それが結実した能を気楽に鑑賞できる日々が如何に幸せなのかということを、痛感しました。みなさまも、折を見て、ぜひ観世能楽堂へ足をお運び頂いてはいかがでしょうか。

観世能楽堂公式サイト:www.kanze.net