井上安寿子

いのうえやすこ

京舞井上流

京舞井上流の継承者・井上安寿子さんに、過去、現在、そして未来への展望について語っていただきました。今回は、井上流の創生と関わりが深い近衞家の末裔・近衞忠大がインタビュアーを務めました。

ポーラ伝統文化振興財団40周年記念展​「無形にふれる」の展示風景

近衞:今年初めに開催された「無形にふれる」では印象的な展示をされてましたね。振り返ってみていかがですか。

井上:能の観世清和先生と共通する振りを撮影して頂いたのですが、実際展示を見たら自分の写真に5方向から囲まれるみたいな状況で。表が観世流のお家元、内側が私で、自分の癖とかが見えてちょっと恥ずかしかったです……癖に気づけたのはよかったですが。(苦笑)

京舞井上流の歴史

近衞:会場でも井上流の歴史についてパネル解説されてましたが、まず安寿子さんご自身は井上流そのものの歴史をどう感じていらっしゃいますか。

井上:歴史に関してはまだ五代目なので、そんなに長くないと思っています。それこそ井上サト(初世 井上八千代)が近衞家にお仕えして、仙洞御所などで舞っていたと聞いています。二十四代近衞経熙様の時代にはすでにご奉公に上がっていました。ここに飾っております扁額は、そのお孫様である近衞忠煕様から春子(三世)が戴いたものと伝わってます。初世以降も近衞家との交流はあったそうです。

​近衞忠煕(1808-1898)から三世春子(1838-1938)へ贈られた「玉椿」の書

近衞:井上流に代々継承されている八千代という名も近衞家との関わりからついたようですね。

井上: はい。初代は1797年に三十才で宿下がりをして、島原にも出入りして、井上流の地盤を作ったのですが、八千代という芸名にしたのは近衞家老女の南大路鶴江様に「そなたのことは、玉椿の八千代にかけて、いつまでも忘れない」というお言葉を頂戴したからと言われています。玉椿は和歌の世界では「玉」は美称で「椿」は八千年の齢を持った長寿の象徴とされています。なので、そのまま井上八千代を名乗らせていただきました。また、定紋としている「井菱(いびし)の紋」ですが、これは宿下りの際に、近衞の奥方様が紋を切り抜いてくださったそうです。近衞様、様々です(笑)。

近衞:滅相もない(笑)。私も岡田万里子先生の著書(「京舞井上流の誕生」思文閣出版 2013)を拝読させて頂いたのですが、宮中は閉鎖的なのに、様々な芸能を外から呼んで観賞する文化があった。初世は近衞家のみならず、宮中、内裏で行われた様々な芸能に触れられる環境にあったみたいですね。更にはそうした芸能を呼んでくる、コーディネートする役割も果たしていたみたいですね。そこで色々な芸能の交流が生まれ、流儀としての型が生まれるきっかけになったのかもしれないなと思いました。

井上:初世のサトも宮中に上がる前に、何かしらやっていたようです。見聞きしたこととやってきたことをドッキングさせて披露したのかわかりませんが、それを面白く思ってくださったのでしょう。

近衞:色んな演目を宮中に持ち込んで盛り上げたようですね。年に何回も公演をご自分で企画され、次から次へとお能やら曲芸やら。「今度お祭りやるから企画して」と頼まれたのかな(笑)。

井上:そうかもしれません(笑)。サトの姪にあたるアヤが二世となり、金剛流の野村三次郎さんに師叔しました。能の型を舞に取り入れたそうです。大きな舞台、例えば花道を必要とする義太夫ものも多く作りました。初世と二世は叔母と姪だったこともあって仲がよかった。井上流の伝承している演目では振り付けが初世なのか二世なのか、曖昧なところがあります。三世の時代に、初世と二世に手ほどきを受けたので、やっと井上流も組織として成り立って、この三世が初めての井上流の名取になったそうです。

近衞:三世が「都をどり」を企画されたのですよね。祇園を中心とした一連の文化をコーディネートしたというか、今の祇園の流れも三世がレールを敷かれた。

井上:初世は島原に出入りしていましたが、その頃は島原も衰退していたそうです。島原と祇園は交流があって、三世が都をどりの振り付けを任されたときに、バラバラだった芸妓さんをぎゅっとまとめたという感じです。それ以降、祇園では井上流しか舞わないことになりました。今まで絶えずに繋いでいるのですが、戦争の時分は無くなったりして、今もコロナでどうしたらいいか考える時期です。

京舞井上流の現在

母は五世井上八千代さん、父は能楽観世流九世観世銕之丞さんの井上安寿子さん

近衞:コロナ禍は、本当に大変だと思いますが、今はどのように井上流を繋げていらっしゃるのでしょうか。

井上:そうですね、とりあえず今は廃れないようにするので必死です(笑)。やはり仲間を作らないと。四世の高弟であり、私にとっても大先輩であるお師匠さん方と共に、花街を支えて下さってたのですが、コロナ禍で稽古の仕方も変わりまして。今までと違うやり方で稽古をどうしていくかというのが目の前の課題。お稽古って時間をかけるとダラダラしちゃって結局覚えないのです。今回、舞台が無くなって気の緩みが生まれています。一番新しい舞妓さんたちは舞台に出ていないのです。お座敷にはちょこちょこ出ているけど、大きな舞台に立っていない。今度彼女たちを大きな舞台に立たせる企画があるのですが、それに向けての緊張感が生まれてこない。それが危機的です。大きな舞台に立って人に披露するというのがすごく大事なことだとわかっていない。今までですとデビューする子は「温習会」でまず初舞台、それから「都をどり」など、様々な舞台を踏んで成長します。温習会でお座敷ものではなく、舞台でお客様にご披露する。それから、都をどりでお姉さん方に揉まれながら一緒に舞台に立つというのが本来の段階。そういう機会が今回コロナの影響でなくなってしまいました。

近衞:稽古中の動画撮影に関してはいかがでしょう。お能の世界をご存知だと思いますが、稽古の写真はもちろん録音も駄目です。今の若い世代には、体で覚えると言っても、なかなか親しめないようにも感じます。

井上:そうですね、稽古方法は、双方どう歩み寄っていくか、日々考えてはいます。ただやっぱり、「私の稽古は動画を撮らないでください」と言います。撮って終わりじゃダメなのです。お手本で撮れてる動画があると結局ズルズルと覚えなかったり、前日にそれ見てやったら良いとなります。お客さんにお見せする芸としてそれは失礼なので。
近衞:確かに、仰る通りです。どのような稽古がコロナ禍で最適なのか、悩ましい状況ですね。指導者として活躍なさる一方で、パフォーミング・アーティストとしてのご自身の活動はいかがでしょう。

井上:舞台を私自身が企画するのは今はしていませんが、仕事をいただいたら必ずします。でもこのコロナ禍で何もできない期間が長くて、舞を舞いたい気持ちが強くなり、ただ稽古するのではなくそれをお見せしたい気持ちがすごく強くなりました。あと、若者にも舞踊に興味を持っていただきたいとも思い、同世代の舞踊家4人でYouTubeを始めました。日本舞踊は敷居が高いと思われていますが、難しく考えず、もっと身近に、親しみやすく感じていただきたいという思いで始めたのです。

日本舞踊を生業としてる、京都生まれ京都育ちの4人
井上安寿子、尾上京、花柳双子、若柳佑輝子 によるYouTubeチャンネル「kyoyoka京躍花」

近衞:村上龍さんの「13才のハローワーク」(幻冬舎 2003)という本がありますが、ご存知ですか。子供が自分の好きな分野に関する仕事を500以上もの職業から見つけられるようになっています。選択肢そのものに気づけていない場合があると思うので、入り口というか、きっかけは、ある程度広く準備してあげた方が良いと思うのです。

井上:「13才のハローワーク」知ってます!今の芸妓さん舞妓さんですと、きっかけは様々ありますが、圧倒的に多いのがテレビです。ドキュメンタリーを見てこの世界に入る人が多いですね。出身は、京都の子より地方の都道府県の子が多いので、やはり、全国で目に触れやすいテレビやインターネットの映像は外せない。そう思いながらも、生の臨場感を大切にする仕事なので、きっかけとしては、映像だけではなく、舞台を味わっていただきたいと常に思っています。

​京舞井上流の継承について

近衞:井上流の京舞を継承してくれるお弟子さんはどのように見出されていらっしゃいますか。

井上:そうですね。恥ずかしながら、小さな流儀なのでコツコツとやっていくしかないという感じで、仲間をどう増やすか常に考えています。芸妓さん舞妓さんはありがたいことに毎年なりたい子がいます。ですが、本当に京舞の舞踊家になりたい人は強い気持ちがないとできない。こちらが引っ張ってなれるものでもない。地道に見つけ、今いる子を育てることしかできません。

近衞:仲間集めにも繋がると思うのですが、インフルエンサーの方に、違う角度からこういう世界があるんだというのを伝えてもらうことも効果的ではないでしょうか。京舞のここが魅力だよってさりげなく教えてくれる人。

井上:そうですね、やっぱりちょっと足を踏み入れている人が宣伝もしてくれると全然違うと思います。

近衞:昨今、伝統文化を学ぶことを目的に来日する外国の方も大勢いると思いますが、井上さんは海外との関わりについてどのようにお考えですか。

井上:確かに、海外の方のほうが日本文化に興味を持ってくださることが多いので、世界に向けて発信できたら良いと思います。ただ、日本人でも京舞を知らない方が大勢いらっしゃるので、まずはそこを固めていきたい。京都芸術大学(旧名:京都造形芸術大学)で京舞の講義をしているのですが、生活様式が違うため着物が自宅にない学生が多く、着物の着方に一コマ使います。名称なども細かく教えないとわからないし、足袋を履いたことすらない。今の学生は、脚が長いので、正座した時、脚がお尻から飛び出す子もいて、正座に適さない体つきになっている。今は海外に向けてというより、まず日本人に京舞を伝えていきたいという気持ちの方が強いですね。

​井上流の未来展望

江戸中期に先祖同士の交流があった井上安寿子さんと近衞忠大

近衞:10年後、20年後の長期スパンで考えた時にどうなっていたらいいと思いますか。この1年間は井上流に限らずすべての流儀が同じように混乱されていると思います。ただ、もっと長いスパンで見たとき、都をどりを続けていくことや、京舞の文化を繋げていくことに関して、先ほどおっしゃっていた企画とか、色んな実現したいアイデアのイメージをお持ちではないですか。

井上:そうですね。井上流を大事にしつつ、他の流儀の人たちと交流することを大切に感じています。お客様に井上流を初めてご覧いただき、それから他の流儀を知ってもらう、ということができたらいいなと。舞でも踊りでも、大きなくくりで日本舞踊を知っていただき、広げたい。他のお流儀の方々と一緒に舞台に立つ企画をしたいと思っています。うちが今までそういう事に閉鎖的だったので。

近衞:もともと流儀間の交流で色々なものを取り入れられていますよね。それを現代において活性化して、伝統でないものもOK、という考え方も可能なのでしょうか。

井上:そういう新しいものがあるから私たちの古いものがあるので。なんでも取り入れる精神ではないかもしれませんが、これを使うと面白いかも、というアイデアはあります。

井上サトさんと近衞家が作った自由文化

財団:ポーラ伝統文化振興財団は伝統文化を通じて女性が輝く社会にしたいという思いがあります。初世・井上八千代さんと近衞家が庶民の中で人気のあるもの、色々な地域のものを、というお話をされていましたが、そういう形で女性が近衞家の中で自由に文化を流入させたことは頻繁にあったことなのですか。それとも井上サトさんが、特別にそういう権限を与えられていたのですか。

近衞:もともと近衞家は、ルーツである藤原北家の平安時代から、紫式部然り、宮中で女性が活躍することを支援してきた家です。また、近衞家に限らず男性貴族は、例えば和歌における平仮名など、女性文化からさまざまなことを学んでいました。江戸時代の近衞家においても、比較的自由に女性が活躍できたのだと思います。

井上:サトさんに関して宮中のことは、聞いた話しかない(笑)。だからわからないことが多くてなんとも言えませんが、閉ざされた中で、お遊びが段々広がってきて、企画をすることが多くなったようです。

近衞:相当自由な雰囲気だったのは間違いないと思います。

井上:それは、そうですね。

財団:近衞家が自由だったのでしょうか。それともご当主とサト様が意気投合して自由になったのか。

近衞:多分先に自由ありきだと思います。

井上:それに、楽しいことがたくさんあったのでしょうね。舞踊や和歌、どういう風に楽しむかを探っておられたのかな。

近衞:これは仮説ですけど、陛下を中心として連日お祭りがある。今でいう公務。年間に何十ものお祭りをするために色々な儀式がある。その儀式を司ってるのが近衞家だとすると、イベントプロダクションですよね。イベント制作で、演出部隊やキャスティング部隊がいる感じ。イベントを作り上げていく中で、初世に関しては、適任者が来た!という感じだったのではないでしょうか(笑)。

井上:そういうイベントで、お楽しみの部分を任されることがあったのでしょう。

近衞:フットワークが軽くて面白い人がきたから「最近巷で流行っているもの見せてくれ」と、近衞の先祖が無茶振りをしたのではないかと思います(笑)。

井上:宿下がりしてからも交流が続いて、下々で流行っているものをお見せしたら、楽しんでいただけたのだと思います。そういうディベートがあったという資料が残っています。そこにサトが関わっていたかはっきりしませんが。

財団:その時代の遊びというか、見て聞いて楽しむ文化は近衞家とサトさんが一緒になって作ったのかも知れません。プロデューサーがいたのでしょうね。今でいう芸能プロデューサーみたいな人が。

近衞:サトさんがそのプロデューサーだったのかも。岡田万里子先生の著書を拝見しますと、先入観としてある近衞家に奉公しながら仕舞の指導をしたという話とは、ずいぶん違う印象です。もっと食い込んでいるというか。一緒に遊んでいる感が伝わってきて面白いと思いました。本日はありがとうございました。

インタビューを終えて

POLA Museum Annexで開催された、ポーラ伝統文化振興財団40周年記念展「無形にふれる」(2020年1月18日(土)〜2月16日(日))では、京舞井上流の世界が写真で紹介されました。舞で使う扇の実物も展示され、凛とした雰囲気が伝わってくるようでした。またワークショップでは、井上安寿子さんがしなやかで品のある舞を実演。さらに井上流の歴史を詳しく語り、舞の「型」などについても実際に体を使って説明されました。京舞井上流五世家元井上八千代さんを母に、能楽観世流九世観世銕之丞さんを父にもつ、京舞井上流の継承者安寿子さんの本格的な舞がライブで見られるとあって、参加者たちの目は釘付けとなっていました。