有福神楽

ありふくかぐら

島根県浜田市

有福神楽(ありふくかぐら)は、島根県石見(いわみ)地方の浜田市東部に伝わる民俗芸能。伝統的な舞のみならず、新しい舞の表現にも力を入れている。今回は、代々有福神楽を継承している有福神楽保持者会の佐々木昌幸さんと息子の翔平さんへインタビューを行い、有福神楽の魅力や未来への継承について伺った。

私の中の有福神楽

有福神楽保持者会の佐々木昌幸さんと翔平さんは、生粋のエンターテイナー。

ー島根県には地域の人々で代々支える神事やお祭りが沢山ありますが、お二人にとって有福神楽はどのような存在でしょうか

昌幸さん:祖父も父も神楽人(かぐらびと)だったので、私も生まれてすぐ神楽が日常にありました。「大きくなったら神楽を舞う」という風に育ったのです。胎教で神楽を聴かされたせいもあると思いますが、今でも血がさわぐんですね。リズムを聴くと(笑)。車に乗っていても歩いていても。「どこかで笛の音が聞こえる、太鼓の音が聞こえる」と感じると、気づいたらそこへたどり着いていて、「今日はここで神楽してるのか」と確認して帰るような。神楽が生活の一部になっている感覚はありますよ。

 

翔平さん:私も太鼓の音を聴くと、やはり気になりますね。そして、人前で神楽を舞って「よかったね」と言われると自信につながります。「ああ、自分は人を喜ばせることができているんだなぁ」と思うと、神楽がどんどん好きになってくる。喜んで貰うためには努力して、もっと上手にならないといけない。そういう感じで神楽人として育ってきたというか、神楽を続けられてるのかなと思います。

 

昌幸さん:私らのところでは、神楽人は町のスターみたいなものです。「あ、神楽のおっちゃんだ」って子どもが言ってくれたりする(笑)。さっき息子も言ったように、そういうことも喜びになって、やっとるんだと思います。
 

とにかく多い有福神楽

 ー年間どれくらいの公演をされていますか?

昌幸さん:昨年は43回公演を行いました。神楽は1月から3月は冬眠期です。4月の春祭りから始まって、メインは秋祭り。秋だけで20回くらいあるんですよ。有福神楽は、主に秋祭りで継承をしています。

 

ー冬を除くと毎週1回以上!それは、多いですね。演目も沢山あるのでしょうか?

昌幸さん:39演目あります。滅多に舞わない演目は廃れていくものですが、有福神楽は昔から舞うチャンスが多いので、珍しいものも含めて、多くの演目を残せているんじゃないかなと思うんです。

 

ー滅多に舞わない、珍しい演目というのは?
昌幸さん:「荒平(あらひら)」「関山(せきやま)」「茣座舞(ござまい)」「天蓋(てんがい)」「帯舞(おびまい)」と言った神事舞(しんじまい)です。7年に1度、下有福八幡宮で「大元祭」(おおもとまつり)があるのですが、そこで奉納するものは、珍しい演目が多いです。

 

ー次の「大元祭」はいつですか?
昌幸さん:下有福八幡宮は、2022年ですね。ちなみに「大元祭」は各地区にあります。他の地区へ参加するのを含めると、私たちは2
〜3年に1度は神事舞を奉納します。7年に1度だけだと忘れてしまいますよ。やはり、舞うチャンスがあるからこそ、珍しい演目も残っているのではないでしょうか。

 

ー本業と神楽を両立させるのが大変ではないですか?
昌幸さん:小さい時から三度の飯より神楽が好きなんです(笑)。それが当たり前になっていますんで、大丈夫です。もちろん、家族の協力あってのことですが。

佐々木昌幸さんは3〜4才、息子の翔平さんは4〜5才で神楽初舞台を務めた。

神楽人としての使命

演目「人倫」の豪華絢爛な衣装。

ー後継者の育成についてお考えをお伺いできますか?
昌幸さん:これは使命ですよ。守るのが使命ですからね、やっとりますけれども。小さい時からまあ「都会に出ても良いけど、いずれは帰ってきて神楽せえ」と言い聞かせて育てています。ですが、現実的には皆が土地に残ることはありません。平成15年から「子ども神楽」が再開して、これまで40名ばかり卒業しましたが、私の息子を含めて、社中(しゃちゅう)に残っとるのは3人だけです。

 

ー少子化ですし、社中の維持も容易ではないですね?
昌幸さん:後継者が一番難しいんです。どこの社中も。昔は、神楽も世襲制みたいなもので、長男は実家に残って神楽をするっていう感じだったけど、今は、仕事の関係で地元を出て家庭を持ちます。神楽をする者もあれば、しない者もある。実際、地元に住んでる社中員は4〜5人で、残りは、他所の場所から通っています。ただ、若い時にやっていたものが、家庭を持って神楽をやめて、また、子どもが手離れした50〜60才くらいで入ったりもする。まあそういう繰り返しですね。

ー観覧して頂く方々を増やすために取り組まれてることはありますか?
昌幸さん:昔は、いつどこで神楽をすると言う情報をあんまり流さなかったんです。外から来る人の中にはマナーが悪い方もいて、地区に迷惑が掛かるということで。ただ、最近はSNSで告知するようにしています。やはり多くの方に神楽を見て貰いたいですし、そこのお祭りが賑やかになるなら良いのではないか、と言うことで。

ー今のお父様のお話を受けて、翔平さんは有福神楽の未来展望をどのようにお考えですか?
翔平さん:難しい質問ですね(苦笑)。自分としては、本当に良いものだと思ってるので、有福神楽を絶やさないようにしたいと思っています。ここからもっと勉強して、いずれ父のような年齢になったら、学んだことを、息子を含めて、若い世代にどんどん繋げて、自分が死んでも、次の人が有福神楽を担ってくれるようにしたいです。

ー素晴らしいお考えですね。

舞を練習する幼少期の翔平さん(2002年製作映画「神々のふるさと 出雲神楽 」より)

ポーラ伝統文化振興財団について

ー最後に、ポーラ伝統文化振興財団とのご縁について教えていただけますか?

昌幸さん:20年ほど前に、映画の企画(「神々のふるさと 出雲神楽 」2002)で有福神楽を撮影するお話しを頂きました。島根の神楽四団体(佐陀神能保存会・見々久神楽保存会・有福神楽保持者会・奥飯石神職神楽保持者会)の「大蛇(おろち)」を見比べるという感じで、素晴らしい撮り方をされて。それで、私らは伝統、伝統と言っていたけど未熟の伝統だなって分かったんです。出雲神楽と比べるとね、まだまだだなぁと。初心に帰らせて貰った。ポーラ伝統文化振興財団とは、そんな出会いだったんじゃないかなと思っております。ちなみに、その映画にはここにいる息子も出演しています。当時5歳で、夜通し神楽に出ていますので、コックリ、コックリ、うたた寝をしているところを撮影されています(笑)。

ー今回、40周年記念展にご参加されて、いかがでしたか?
昌幸さん:始まりは、有福神楽保持者会の会長から「ポーラ伝統文化振興財団さんが10月の神楽を取材に来られるよ」っていう話だったのですが、話しているうちにだんだん凄いことになりました(笑)。40周年記念展ということで、映画の時とは違う見比べ方になっていますよね。本当に感謝しています。私らは、先ほども言ったように出雲神楽と比べると若い伝統なんで、「若い伝統にはこういうのがあって、こうやって伝えとるんだ」っていうのを分かって頂ければと思っております。

 

40周年記念展会場で「大蛇」を舞う佐々木昌幸さんと翔平さん

インタビューを終えて

POLA Museum Annexで行われた「ポーラ伝統文化振興財団40周年記念展 無形にふれる」(1月18日〜2月16日)では、来場者が、豪華絢爛な舞台衣装を触ったり、石州半紙でできた採物(とりもの)を手にとって記念撮影したりできる革新的な体験展示がなされた。

レセプションイベントにおける迫力満点な「大蛇」を披露した有福神楽保持者会の佐々木親子。

今回親子二世代をインタビューして、相手を喜ばせたいと言う利他の心と、自分たちの技は今よりもっと高められると言う向上心そして謙虚さを強く感じました。明和年間(1764年〜)頃に始まり、明治初年まで下有福八幡宮又は地域の神職によって奉納されていた有福神楽は、明治以降、氏子らによって継承され、今に至っています。地域における伝統文化と絆を、幅広い世代で支え合いながら未来へ継承していく生き方は、これからの時代に一層求められるひとつの価値を示唆しているようにも思います。